alovelog

続けられるよう頑張ります。(雑な)料理、サッカー見に行った時のこと、ランニングなどが大体の話題だと思います。

「財前札幌のスタイルって何?迷いを捨てて走れ切れ」とそれに纏わる話に対するの僕の解釈

(※個人の感想・推察です)

・幕文言の自分なりの解釈
最近の札幌は、見たいサッカーをしてない。
何かって言うと、去年の面白いサッカー。
走って繋いで局面打開したり、逆サイド空いてりゃ大きな展開。
先手を取って仕掛け、相手を反応させながら外していく。
そんなサッカーをしていない。
シュートはあまり打ててない。足元ばかりで相手に付かれ、といって裏抜けもしない。
総じて迷ってる。ように見える。
「(去年出来てた)財前札幌のスタイルって何(思いだせよ)?迷いを捨てて走り切れ!」

 →監督を批判する意味はなく、ヤワい試合してんじゃねー!やり切れ!熱くさせろ!というハッパがけ。




・反応の自分なりの解釈

「財前札幌のスタイルって何?的な横断幕が出ていたけど、その監督を選んだのは会社です」

現状行われてるサッカーの「スタイル」に対して不満がある場合、責められるべきは監督だけではない。
「(選ばれた)監督だけ」に求めるスタイルを仮託して、それが上手くいかないから監督を批判するのは違う。
というのも、
1.見たいサッカーのスタイル(言うなれば演目)というのは客側が求めてよい筈だ。
2.会社はそれを汲み取って、顧客を満足させ、顧客との理想を実現するべく人選をし、
 「札幌は(客も含め)こういうサッカーをしたい。そういうチームを作ってくれ」
 と監督を雇う。
3.見えている試合にそれ(求めるスタイル)が現れないのであれば、
 監督ではなく、任命している会社側『も』当然批判されるものなのではないか。

客が「俺達はこういうサッカー、こういうクラブであって欲しい。こういうのを見たい」
って主張出来て初めて、客として自立している、与えられるだけの立場から抜けた事になるのではないか。
与えられた監督や選手にのみそのスタイルの実現を求めるようなのは、
それこそ客側にスタイルがないって事なんじゃないか。
札幌界隈が文化を持つ。というのであれば、批判の細かい順番はともかく、
監督のみに矛先を向けるようなやり方は、(客とクラブと選手監督の関係から考えるに)心苦しい。
監督批判だけしてもしょーがないよ。会社にだってその責はあるって認識を持ってないと
近視眼的になるし、また選ばれた監督が結果出なくて会社が辞めさすのを黙って見てて…
みたいになるぞと。

客が明確に何か求める事、優先したい事、追い続けたいものがあるならば、
会社が雇った監督に対しての評価も客が出来るし、
会社が監督の評価において近視眼的な対応(勝てませんでした、サヨナラ的な)を取るときに
「オイオイそりゃちょっと違うんじゃねー?」って行動も出てくるんじゃないか。
そもそも結果だけで見るような事をしていると、幾ら監督が居ても足りねーよ!
客も成長しないと、特に(かねがね金が無い)このクラブにあっては長期的な強化や、
それこそスタイルの確立なんて出来ない。
たまたま選ばれた監督が上手いこと面白いサッカーをやってくれた。だけじゃダメ。
それじゃ続かないのよ!

 →安直な監督批判でなく、見えてる試合の背景に何があるか、
  本質・奥底・トロの部分を見るようにしよう。

という事なのかなと推量(≒妄想)しております。



以上