俺は今を生きていて、今って今がいっぱいあるんだぜ
札幌でも焼けるような暑い、いや熱い夏。
感染症が蔓延りワクチンはまだお年寄りしか打てなくて、街は諦めムードなのか、もう見えない恐怖への警戒にも疲れてしまったのか(1年半もたかだか10万円でそんな疲れることを強いられりゃ、まぁそうだ)、人出はそこそこ回復している。
全世界的に収束がなかなか見通せない環境で五輪は行われ(その是非は俺個人としてはどうでもよい。俺は感染症環境下にあっては人混みには出ない。なんであっても)、それは存外面白く、不思議な時代体験をしている。
個人的な事情を言うと、会社の俺以外の俺を取り巻く環境の変化が重なったこともあり、先週連休前から在宅を出来ず、出勤して、残業までしていた。
マスクをつけて9時間以上拘束されるのは、俺の体質的には命に関わるほどに苦しい(目眩がする)
札幌も本当に暑いというより熱くて、昼飯の度に頭皮を焼かれる。家に居たい。
感染リスク、酸欠リスクの双方を冒すのは自身の健康を是とするのであれば(※俺は是とする立場だ)全くの無意味で、害悪だ。
会社なんか行ってはいけない。
なんか、五輪仕様のペイントがある。
感情で繋がると、感情で離反する。離反するのであれば、俺は理屈がいい。
不特定多数の感情などというのは、単に恐怖だ。俺は自分の周りの、極稀に在る類稀な人や、座、席に対して、おずおずと、投げやりに、自分を晒し、笑い合うのが好きだ。
どーでもいい、クソみたいなUnited、したいか?したくないというか、いえ、結構です感は、あるぞ?とか、思う。報われない俺の人生の中で、こうした感覚が誇りにもなり、また、報われない原動力でもあったろう。氷河期棄民世代なのだ。俺は。(会社は俺に報いろ)
クサクサした気持ちでも雲だけはいっちょ前だ。やるじゃねぇか。それだよ。やれることをやれ。
冒頭よりもバランスを考えた豊平川の画角。雲を撮りたければ冒頭。川も、川を含めた豊平川を撮りたければ、このバランスだ。
橋を渡って振り返れば、夕暮れの雲。
色々と、きっと自分の報われなさの自覚に起因して、クサクサした気持ちが、雲の集中線に乗って解放されてしまいそう。
いや、もっと溜まるのか。
空はカッコよく、俺は、どんよりと惨めだ。
惨めでも、やっていかねば生きていかねばなのだ。
金がなくても、得る金が増えなくても、家の壁に冷房つけらんなくても、世界的感染症への既知の調達済みワクチンすら打てなくても、
俺はといえば、やっていくしかないのだ。
生きていく中、自分を奮い立たせる必要なんか、ホントはないし、あっちゃいけない。
「生きる事を頑張れないと生きていけない」なんか、生きられなくなった奴が負けたんじゃなくて、本当は、そいつ以外の、社会の、人間の、敗北な筈なんだ。
これを書きながら寝落ちしかけて、書き込もうとした文が、寝落ち仕掛けてたときに見た微睡みの夢を下敷きにした結句だったので、慌てて書くのをやめた。
これまでの文章を読み返したら、書こうとしていた結句も、その前段の微睡みの論展開も、全部、俺の生体記憶領域から消えてしまった。
3回くらい寝かかって、その都度進展を見なかった文も、そろそろ終わる。終われるならそのまま終わればいい。少しでも誰かや俺が、安らかだったらそれが一番いい。
なんでこうなってしまったんだろう。
慰めの返答も無いまま、漬けた覚えのない肉の塩抜きを微睡みに見てしまいつつ、今夜はもう寝よう。
まとまらなくても、うたた寝の夢なんて、
概ねそんなものなのだ。