運動分野に限らず、教育現場で体罰受けてた(或いは見てた)人って案外多いと思うのだけども、
あんまりそうした話はネット上で見ないので、自分の話を書こうと思う。
・前提
私は体罰が嫌いです。
「あの先生は体罰するけどいい先生」という感覚は今でもほんのりありますが、
かと言って体罰を肯定は出来ません。
自分の子供が自分が受けたのやられたら多分抗議するもの。
・自分の体罰経験
小学生の3〜6年の間、二人の先生に主に教室で条件により発動する体罰を受けていた。
・自分が受けた体罰の種類
A先生
竹の棒による頭叩き(強弱あり)
ビンタ(強弱あり)
B先生
頬を抓られる(持ち上げようとする)
顔面をガムテープで巻く
空のゴミ箱を被せられる
・体罰発生条件
A先生
朝の会による忘れ物申告
忘れ物1つ→生徒が提出した日記帳の束で頭を叩かれる(提出者が多いと重い)
忘れ物2日連続or2つ忘れる→竹の棒で忘れ物の数だけ頭を叩かれる
忘れ物3日連続or3つ以上→ビンタ
漢字書き取りテストの「読み」と「書き」点数差分、竹の棒で頭を叩かれる
他、全般的に先生の逆鱗に触れるような事があると往復ビンタが発動する
(例:集合が遅い。喋っている。など)
B先生
授業中の態度が悪い(私語など)
机に座る際、足を通路に出してると抓られる
・体罰に触れてなんか変わったか
忘れ物すると叩かれるので流石に忘れ物は減った…んじゃないかと思う。
言い訳すると叩かれるので言い訳をせず、体罰が通り過ぎるのを待った。
漢字書き取りに点差があると叩かれるので、ワザと「読み」部分の回答を間違えた事がある。
→結果、ズルい奴だとすげぇ叩かれた。
(まぁ普段90点なのに急に60点台になれば不正には気づくだろう…)
・先生を許せるか
自分はそこまでやられてないのでまぁ笑ってられる部分は大きいのだけど、
これを書くに辺りB先生のやった事を考えたら、ちょっと難しいものもあるなぁと思う。
普段は忘れてるし、思い出しても平気だけど、その背後にどんな理由があったかを考えたら
やっぱちょっと看過出来んわってなるし、気持ち的にはキツイ。
・振り返ってみてどういう気分か
やっぱあんまいいもんじゃねぇわ。
こんなもんあったらいかんよ。
・雑記
小学生の頃、先生から体罰を受けてましたが、それはまぁ、自分としては耐えられた。
何か親も先輩もみんな「○○先生はああいう人だから。でもいい先生」つってるんで。そんなもんかなと。
で、両先生の体罰発動条件は結構明確で、A先生なら不注意が重なるとビンタまで発展するという世界。
自分はまぁ不注意が重なる事による平手一発程度で済んでたけど、
提出物の忘れものが多い人になると往復ビンタをされまくってた。
机にぶっ飛んで鼻血を出す人も居た。
黒板の下には頭を叩く用の竹の棒と、鼻血対処用のトイレットペーパーがかけられてる。
ビンタへの恐怖から自分の家にダッシュして逃げようとする子も居た。
(校外を200mぐらい逃げて国道前で捕まったり、引き籠った家から引き出されたりしてた)
B先生は激昂しない替りにクラスでの冗談的なものを含めて体罰をするので、
笑いものにされる子供側は結構辛かったと思う。
俺もゴミ箱被せられた時は(ウケてた分)とにかく悔しくて、涙をこらえるのが精一杯だった。
どんなに抓られた(肉体の痛みを与えられた)事よりも、アレを思い出すという事は
きっと「心を折る」「自尊心を折る」というのが体罰が及ぼす一番悪い作用なのだろう。
大勢の前で誰かを笑いものにする、明確に一人を罵倒するというのは体罰の典型的な在り方だが、
これはホントに人を(人の心を)壊すので、絶対に許されないものである事は強く訴えたい。
閑話休題。
で、自分にとって体罰の本尊というとA先生なのだけど、
一回ホントにひでぇなぁと思ったのは、4年のプール授業の時の話。
50m×20mの9コースプールで、まず全員で一発泳ごうってんでプールの横断をする事になった。
先生は「自信の無いやつは端で泳げよ」と注意を伝えた。
そのプールはスタート地点の水深1.2mから真ん中の25m辺りで最深1.5mになっている。
泳ぎの達者な連中が最深のとこに行けばいいのだけど、
芽生えてきた「俺やれる感出してイキる事はカッコ悪いよね」みたいな空気もあり、
そうした連中からスタート地点側を取っていく。俺もその一人だ。
結果、クラス一泳げねぇだろうって子(太い男子)が最深部で泳ぐことになった。
スタートして即泳ぎ終わり、上がってプールを眺めていると、どうもおかしい。
最深部の、しかも5コース辺り。つまり50m×20mプールのど真ん中(cv.長州力)で
その子が溺れているのだ。顔を出し、あっぷあっぷとしている。
先生はすぐに泳ぎの上手い女子4人ぐらいを派遣し、自らも確かプールに入ってその子を救出した。
「これは俺ら怒られるな」と、泳ぎの達者な私などもそう考えていた。
先生は「泳ぐ自信の無いやつは端で泳げ」と言った。
明確に泳げなさそうな奴の為に、泳ぎの達者な子らはすすんで真ん中に行くべきだった。
それをせず、このように授業を妨害した。これは叩かれる。
そのように頭の中で考えを進め、来るべき痛いビンタを覚悟していた。
(この頃はビンタが当たり前だったので一発ならやられる側も平然としたものだった:異常ですなぁ)
が、先生は俺の予想の完全に範囲外な行動に出た。
その、太った子をプールサイドに寝かせ、無事を確認した後、馬乗りになってビンタを始めたのだ。
遠くにいるので先生が溺れた子を叱る声は聞こえないが、恐らく
「お前泳げないなら端にいけ。
何故真ん中で泳ぎそして溺れた。
言ったことを破ってクラスに迷惑かけてんじゃない」
といったところだろう。
これは当時全く理解が出来なかった。全く理解が出来なかったので笑ってた。
理解が出来なかったのもあり、その先生のヤバさをネタにする時はまっさきにそのネタを話していた。
俺の知り合いでこの話を聞いたことある人もいるかも知れない。
俺も酒飲んでは笑って話してたけど、こうして文章にしてみると異常さが際立つ。アカン。
ついさっき溺れてた子に、馬乗りになって、ビンタする事で得られる事なんか、あるだろうか。
最も救出困難な場所で溺れ、助かったと思ったらビンタされたその子は、一体どんな事を思っていただろうか。
今となっては解らないけど、ヘタしたらトラウマものである事は、今だからこそ想像がつく。
あのクラスに居た経験がありながら、体罰に関して「まぁ程度によるけどあってもいいんじゃない?」
という考えを結構長い間持っていたことは、当時の状況を思い出すに恐怖するしかない。
俺の感覚も十分異常だったんじゃねぇかと。
自分が体罰を誰かにする。という意味でなく、
体罰が存在する状況を看過し、体罰に意味すら認めようとする。つまり体罰を全否定しない。
という意味において、「体罰は連鎖する」のだ。
いや、ホントに体罰、あったらいかんよ。
指導、教育の在り方、指導者や教育者をバックアップする、責任を被せない体制、
指導者や教育者の待遇、教育を放棄してきた事でこぼれる部分をどうフォローしていくかとか、
それこそ地域社会の在り方も含めて、体罰をなくして、連鎖させないために何が出来るか
考えて考えて、実践して反省して、よい方法を模索する時期にきてるんだろうと思う次第です。
(やっぱ地域の小さい範囲での繋がりというか、地域の信頼関係なんかが要るんかなぁ)
以上