シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を見てきたぞ2【直バレはないが構造的な感想含む】
内容に関するネタバレはありませんが、こういう話か〜。こういう構造か〜。と俺が思った事(考察でなく、感想)は書きますので、初回鑑賞がまだの人はこれすら読まないで劇場に行ってしまうのがよいです。
前回↓
観劇前日、嫁様に「シンエヴァを見るというのは、家を出て時が経った息子と極久しぶりに会い、なにはともあれ酒を飲みに行く、一緒に酌み交わしてみる。みたいな感覚になるんじゃねぇかな」とか「そこに、息子が俺の理想と違ったとか、随分立派になったなとか、お父さん(自分)も負けてないぞとか、そういう息子(映画)への感想ってのはあんまりなくて、『ああ、俺も息子もこうした酌み交わしが、仮に話がドライヴしないとしても、ともあれこうして飲んでいられる程には、両者に時間が流れたんだなぁ』みたいな感慨を得るような体験になるような気がする」などと、シンエヴァ視聴前の【体験】について何となく話してたら、
まさに【そう】であった。
破→Qで劇中14年間の空白があり、そこで何があったかの説明はなく*1、周りは何も言ってくれない。
完全に突き放された状態で物語は進んで行き、投げっぱなされて放心状態のまま、まさしく観てる俺(並び、江別のイオンシネマで観ていたその回7人の観客もきっとそう)を劇場の暗がりから追い出したQ。
ここに於いてヱヴァ(※新劇場版をヱヴァ、TV版や旧劇場版なんかをエヴァとする)は既に旧劇場版エヴァの追体験に似た事を観客相手にやっており、もう「これがこうで、このワードはこれこれこう」みたいな劇中での説明は期待出来ないということは何となく覚悟がついた。(14年の空白を懇切丁寧に説明する暇と熱意のある人間はこの世界に居ない)
※それはそれとして破→Qの予告の冬月とゲンドウとヤクによる登山ゲリオンの件は何らかのスピンオフして欲しいぞ。
ここで思い出して頂けるとありがたいのが俺の書いた俺向けのネタバレ回避シンゴジラの感想で、俺はここで「シン・ゴジラは現代の人や世界に向けて作られた初代ゴジラだ」と書いている。
そうした感想を得る体験を経て「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を鑑賞した訳だが、果たして「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」は、まさしく「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||だった。
シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| は エヴァンゲリオン劇場版 を追体験させる。*2
Qが構造的に「誰も理解出来ない、エヴァンゲリオン劇場版(所謂旧劇)的な投げっ放しのほっとかれ体験をさせた」んであれば、シン・エヴァンゲリオン劇場版は投げっ放しでなく、懇切丁寧にエヴァンゲリオン劇場版(所謂旧劇)を「繰り返し」ており、メッセージは旧劇場版と変わっておらず、そして、その上で、ヱヴァ(新劇)側の大人達を大人にし、エヴァ(TV、旧劇)の頃にあった「大人が子供問題」にケリをつけている。
大人がガキだからエヴァンゲリオンなんだろうが!!!!
と拗ねる向きもあるだろうし、それは感想やそう見たい人の考えなので否定はしない(出来ない)けど、それは意地悪く言えば拗ねたい人が拗ねるというだけの話でしかない*3。時間の経過により、自分以外の他者は自分の意志に関係なく、任意に成長する可能性がある。
TV版→旧劇場版*4
繰り返しだ。繰り返しだ。
繰り返しの中で盛り上がりを加えていってる。
そして、大サビが、これだ!!!!!
【シン・エヴァンゲリオン劇場版:||】ってタイトル、そういう意味か!!!!
みたいな解放と納得が、俺にはあった。
この感覚は少なくとも俺にはあって、誰かに任意にあるかは分からない。でも、俺にはあった。
シン劇の語り口は、旧劇みたいにあつあつのコーヒーサーバを投げつけたり、ダイニングテーブル回って近付いてきて殴ったり蹴ったり……そんなではなかった。
こっちはイヤなのに、まっすぐ目を見て、肩を掴み、逃げられなくして、ともすれば独善的な熱意ある説教をしてくるでもなかった。
長方形の座卓の適当な間合いに斜めに座り、めいめいに自分の盃を満たし、啜る。その中で、特に殊更の衝撃的な語りがある訳でなく、ふとした話し方なんかに、互いに時間の経過を感じるような、
そんなシン・エヴァンゲリオン劇場版:||だった。
ここまで読んでしまった未視聴の方にはもう意味がないですが、それでも、こんな文章は読まず、劇場でシン・エヴァンゲリオン劇場版:||を喰らって、あなたの中に起こるあなたの感情を、インターネットなり近くの人になり、何らか残されて、それが流れ流れて俺に届き、ああ〜、こういう感情感想もあるんだな〜とかなったら、素敵だなと思います。
まだまだとりとめなく言葉が出てくる*8けど、取り敢えずはこんなところでした。
*1:渚カヲルによる通り一遍な説明はあったが、それはシンジ君への説明であり、観ていた我々への説明ではない。
*2:反復記号は曲の盛り上がり、大サビなんかに効果的に使われる。
*3:そして拗ねている子供に、特段の悪感情がなかろうと、日々を過ごす大人は「構いきれない」し、さながら拗ねている子供を無視するかのように過ごす事が往々にしてある。
*4:碇シンジの補完における、「恐怖の対象であった他者」の存在の許容
*6:他者への信頼の梯子を外され、再び他者の存在を静かに否定(殺すとかでなく、自分の中で無いものとし、関わらない)する
*7:碇ゲンドウによるエヴァンゲリオン劇場版の「繰り返し」或いは「反復記号で繰り返される所謂旧劇、エヴァンゲリオン劇場版のサビである補完計画を歌うのは碇ゲンドウ」
*8:思い出話なんてのは大概そう。それが止まらないんなら、その葬式は大成功なんですよ多分