故人との思い出
先日「昔働いていた会社でお世話になった先輩」が亡くなったと知らされた。
20年ほど前、やっとこさ就職した会社を1年半ぐらいでさっくりクビになった自分を雇ってくれた、長く働いた会社の、歳の近い先輩だった。
先輩は仕事のやり方もそうなんだけど、とにかく飯だ酒だ遊びだと、そういうところで自分の知らない世界を(片意地張って見ようとしない自分に)見せてくれた。という印象がある。
転職当初、その会社がまだ小さい頃は会社全体の飲み会みたいなもんもちょいちょいあったのだけど、そんな折、歳が全然上の重役達の中にあって、愛され、可愛がられ、バイタリティ溢れる行動や仕切り、立ち回りというか、生き様。そうした動きは「俺には真似出来ねぇ…」と思わされるものだった。
一度、先輩が開発会社に作らせたシステムが、カットオーバー直後に止まったことがあり、止まると困る皆様から、会社に居た自分に鬼電がかかってきたことがある。俺は大変に狼狽した。いざって時の連絡先やらドキュメントやら、トラブル対応の情報を何も聞いてないのだ。
先輩が休みを取っているのは知っていたが、背に腹は代えられない。何らかの手がかりだけでも聞き出せれば。と携帯電話を鳴らしたら、電話に出た先輩は、果たして遠く海を越えた灼熱の世界、ワールドカップアジア予選のスタジアム現地にいた。いやそんなとこにおんのかい!で、いや悪い悪い。どこそこのキャビネに納品ドキュメントあるから。ベンダーさんも電話は受けてくれるから!サブちゃん何とかして!ごめんね!と伝えられ、仕事場のテレビで中継されてるサッカーの映像を口を開けたまま見ていた(実際ドキュメントはあったしベンダーさんは電話出てくれたし、何とかなった)。
※その時のお土産に貰ったのが、昔札幌のアウェイゲームに着ていってたアラブ衣装である。*1
ある日、先輩に呼び止められ、結構マジなトーンで「サブちゃんはこれからどうなりたいの?」と聞かれた事がある。
俺は、今にして思えば、二十代半ば以降暫くは「対象が存在しない自分なりの反抗期」だったと思う。仕事は目の前のタスクをとにかくこなす、夜でも出るけど、朝は遅い。誰とも連携せず、一人でやれる事をただこなしていた。誰にも干渉されたくなかった。成長の為の努力をするのは構わんが、強いられるのは嫌だった。だから「特に考えてないです。このままで何となくやっていければ」と答えた。先輩の反応は忘れたが、失望させたと思った。*2思えば、先輩は出向元に戻る前に、自分の後継みたいな人を一人作りたかったのかも知れない。俺はそうした思惑を推察するのが本当に苦手だ。*3
それを機に、と言うわけではないが、自分と先輩の仕事は段々と分かれていき、先輩は出向元に帰っていった。それから連絡は取ってなく*4、また、会うこともなかった。
昼休みに、表参道の醍醐(最近向ヶ丘遊園の本店が閉店しましたね)に行ったり、その裏手の寿司屋のランチ(昼は焼き鳥、ラーメン)行ったり、カレーうどん食ったり、麺屋武蔵にタクシーで行ったり、目黒の二郎で二郎初体験させられたり、そこで「く、食えました」つってチャーシューをスープに沈めてるのを見つかって笑われたり、三田本店行ったり、バルバッコア行ったり、まい泉行ったり、青山大かな?あの辺の紀ノ国屋裏にある蓬莱で冷やし担々麺食べたり*5、連れてってもらった合コンで何もわからぬ俺はとにかく飲むしかないってなってショットテキーラ飲み過ぎて大変な事になったり、表参道の会社からアテネの最終予選とか、一緒にナビスコ杯決勝(FC東京初戴冠)見に行ったり、そういや久保ドラゴンが代表初ゴールかな?決めた国立の中国戦とか、よく国立競技場行ったな。レアルマドリードvsFC東京も見に行った*6。
知らせを受けてから、献杯として、酔い潰された思い出がある「テキーラ」を買って、家で飲んでいた。
あの頃味もわからずカパカパ飲んでたテキーラ。氷を溶かしながらゆっくり飲むと案外においしい。へぇと感心しながら思い出していたら、色んな事、その頃の事が、ビデオのように浮かんできた。浮かんでくるってことは、忘れているわけではないのだ。特に何がというでもなく、幾らでも浮かんでくる。じんわりと、寂しいような、でも向かい合うとただ暗く大きい穴があるというか、過去の思い出を思い出しながらそのまま疲れが取れない眠りに誘われるような、なんならどんよりとした、そんな気持ちになった。
俺は先輩の訃報がショックだったのだろう。
先輩はもうおらず、あの頃の思い出を知っている人も(特に自分がそうなのだが)散逸してしまった。自分は自分の生活があり、仕事もある。それぞれの人生、それぞれの歴史が積まれていく。そうでいいし、そうであるしかない。
故人を偲んで、ひとり、自分の昔を思い出した夜だった。死ぬまで生きるぞ。